託児についての考え方 of スミレ歯科ホームページ

託児への想い(副院長のひとりごと)

 私は、子供が大好きです。
 小さい頃からずっと乳児を背負って近所のスーパーに行っては小さな従姉妹の可愛さを必要以上にアピールし、小学校から帰宅すると毎日ランドセルを放り投げて、身近にいたその赤ちゃんに添い寝し、飽きることなくずーっとその寝顔を見つめていました。永遠の幸福に包まれていたその時間を今でも忘れられません。当時7歳の私でした。

 それからずっと子ども中心の人生です。
 小学校の図工では、赤ちゃんが使えるようなパズルや玩具を作り。
 家庭科では自分の服をリサイクルして子供服を作り。
 高校の弁論大会では、子供の感性の素晴らしさ、子供の尊さについて、熱く語り。

 子供以上に大切な存在はこの世の中にはないと、思っていました。
 今でも、そう思っています。 
 子供が大好きだからこそ、歯科医師を目指しました。
 一般的に考えて、子供に嫌われる、子供が泣いてしまう職業だからです。
 そして、0歳から高校生くらいまで、幅広く接することができるので、どの世代の子供も好きで触れ合いたい、よくばりな自分には向いているのではないかと、考えが浮かんだ瞬間、目指す進路は決まりました。

 好かれるにはそれ相応の努力が必要で、果てしなくハードルが高いからこそ、子供が大好きでたまらない自分がなるべきだという使命感に、子供の頃から燃えていました。誰に勘違いだといわれようと、大好きでたまらないことは間違いないし、子供への愛だけはゆるぎなく、とても自信に満ちていました。

 歯科医師になるための勉強も、それまでの学習も、全ては将来出会うであろう子供たちのためだと自分に言い聞かせて・・途中、何度も何度も勉強を辞めたくなりましたが、頑張ってこられたのは、愛すべきたくさんの子供たちのおかげです。大学に入ってからも、「小児歯科を目指しています!」と言ったとたん、やや冷めた視線を浴びましたが、一向にめげることなく、まっすぐに子供のことだけを考えてきました。
大学時代のアルバイトですら、小さなご兄弟がいるお子さんの家庭教師をさせてもらったり(今でもおつきあいがあります)、ボランティアで保育所を回るサークルに飛び込みで参加したり、風邪をひいたら普通は内科なのに、なぜか産婦人科を受診し(決め手は、「内科・産婦人科」と看板があったからなのですが・・)、その機会に不審者と思われない程度に新生児室の幸せな雰囲気に浸ってみたり(結果、困惑されたあげく、医師曰く「10年ぶりに倉庫から出したんだけど、大丈夫かなあ・・」という謎のワクチンを打たれてしまいました・・)。とにかく、◯◯馬鹿という言葉を使うなら、私の場合は間違いなくそこには「子供」という単語が入ると思われるくらい、大好きなのです。

 ここまでは序章でして・・(ひとりごと、ですので途中で読むのをやめていただいても構いません)
 ここからが託児への想い、についての話です。

 歯科医師になってから、
 その、大好きな子供たちが大きくなった姿=成人と捉え、成人の歯科治療も自分なりに学びながらそれなりの経験は積んできたつもりですが、その過程で、「妊婦さん」「授乳中のお母さん」「子育て真っ最中の人」・・いろいろな環境で子供を育み、1人〜たくさんのお子さんがいるお母さんたちの治療をする機会がありました。
 そのとき感じたことは、「どうしてこんなにひどくなるまで放っておかれたのだろうか。途中痛かっただろうに、どんなに我慢されたことか・・」ということでした。
 自分のことは二の次になってしまう。子供に手がかかって受診できなかった。受診はしたけれど、子供が泣くので気になって途中でやめてしまった。周りの人に迷惑だから。行きたかったけど、子供たちをみてくれる人がいなくて。・・・などのお答えがほとんどでした。
 雇われの歯科医師時代は本当に無力でした。
 ただ、子育て支援をしている歯科医院は決してゼロではなく、修行時代は託児付きの歯科医院に勤めたりしながらそのシステムの良さや問題点などを肌で感じてきました。
 時がたち、自分たちが開業できる条件がようやく整ったときに、『託児』のシステムは必ずつけるというのは最初から決まっていました。歯科医師をしてきたら、それはおのずと頭に浮かぶのです。それを実行するかどうかはその先生の価値観もあるでしょうが、我々にとっては当然のサービスだと思っております。しかし、さまざまな誤解を受けることがあります。『託児』はあくまでもサービスであり、私たちの『売り』ではありません。歯科医師なので、歯科治療が一番の主体です。治療に魅力がなければ意味がない。治療の質があってこそ、の託児。託児があろうとなかろうと、選ばれる歯科を作る。
 これが私たちの信念です。
 託児はごくあたりまえのサービスです。でも、想いはずっと深く、あるのです。

 お母さんたちが治療を我慢しないでほしい。
 ほんのひとときの託児であっても、リフレッシュしてほしい。
 リフレッシュした心で、あらためて我が子と対面したときに、そのお子さんの新しい一面を、保育士から伝えてもらい、新鮮な気持ちでまたあたたかい家庭へと帰っていってほしい。
 たまにはお父さんが子供を連れて来て、そこで託児を引き受け、その間はお母さんの自由時間にしてほしい・・・など。
 当院の託児をそのご家庭でうまく利用していただき、結果的に多くの子供たちに、たくさんの笑顔を向けてほしい。あなたがいたから私は治療を我慢したの・・などとは思われませんように・・。
 ここでは書ききれないほどの、たくさんの想いがあります。
 ごく個人的な想いもあります。

 子供たちが、楽しく通える歯科でありますように。
 その日患者さんではない付き添いの子供たちも、楽しく過ごしてもらえますように。
 子供たちがやがて大人になって、子供の頃から歯科が苦手だった方にも、治療を続けてもらえるような歯科になれますように。
 子供たちに向ける大人のまなざしが、いつも優しくありますように。

 それが私たちの託児への想いであり、歯科医療への気持ちであります。
 本当は、ごくシンプルな気持ちであります。
 ちなみに、治療はここまで熱くなりすぎないように気をつけております。
 歯科では冷静さ、緻密さが大事です。

 スミレ歯科は、お父さんお母さん、そして子供をみてくれる全ての家族の方のためにサポートします。
子供に向けるまなざしが、優しくあるためには、周囲の大人の方へのサポートが必要だと、私は信じています。先日スミレ歯科に初診で来られた女性が、託児を初めて利用されたのですが、治療の際に私が挨拶をした次の瞬間に、「託児、ありがとうございます。先生のお顔をみて、安心しました・・」といって泣き出されました。
 今の世の中では、子供という、かけがえのない存在を手にした幸せと同時に、さまざまな負担が一気についてきます。近くに近親者がいてサポートを受けられるご家庭はまだいいのですが、ご夫婦と子どもさんだけの家庭は、そういうサポート自体受けられません。一時保育や派遣のベビーシッター制度もありますが、それも利用するにはまだまだ金銭的にもハードルが高く・・・。
 頼みの保育園も、園によっては朝も夕もたくさんの荷物や布団を持って帰らされる毎日・・・。送り迎えが無事に完了するまでの死角もいっぱいあります。朝夕の混雑する駐車場の中で子供が走りだしても、そこに保育士はいないのです。布団を抱えてフラフラと自転車をこぐお母さんを誰かサポートしてあげてほしいと、いつも思います。新生児のいる家庭や、お母さんがひとりで上の子と下の子を送迎するにはそれなりに危険が伴います。雨の日はさらに悲惨な状況をよく見かけます。させるなら、私が傘をさしてあげたい。でも私自身も小さい子を2人抱えて右往左往している・・・数年前の光景ですが、今も3人の子育て中であり、泣き笑いの現実、思わず天を仰ぎたくなるような瞬間がたくさんあります。             

 命を預かるサービスを運営している我々にとっても、身のひきしまるようなハッとさせられる出来事もたくさんありますし、個人的にもこの数年で考えさせられる事や過去には保育園への要望の機会をたくさん得ましたが、なかなか反映されないのが現実です。その当時は、このままだと仕事への意欲低下にも関わるということで私は転居を選びました。
 残念ながら、細かいところの気配りの有無や保育園での満足度も、たまたま出会った保育士の資質に左右されます。多くの保護者はいろいろな不満に出くわしても、子供を預けているという心理的なプレッシャーからなのか、その要望すら出せずにいます。

 当院の託児のシステムは個人の資質に左右はされません。
 そこに確かなシステムを作っています。当然、臨機応変に対応します。
 個人の資質はそのシステムを彩るものであり、適性のある保育士を我々が配置することによって、お母さん達が心地よく帰っていただくための雰囲気づくりには一役買っているという程度です。
 限られたスペースではありますが、当院の保育士さんは一生懸命に子供の安全に気を配っています。歯科治療の間、お母さんたちが安心してリラックスできるように、バックアップの気持ちは誰より強くあります。

 昔から保育に関しては強い気持ちがあってこのような取り組みをしていますが、自分自身の置かれた状況を客観的にみましても、最近の子供に対するさまざまな問題の背景に追いつめられた家族とくに母親へのサポート不足の問題は、根深いものがあると思うようにもなりました。
 本当に、これは、「子育て支援」なのかな。支援しているつもり、ではないかな・・・と思うこともたくさんありました。慣らし保育の時期の対応、病児への対応、保育士の質、子育てを経験している保育士が少ないことと、現実の社会を知らない保育士が多いこと、保育士の良好とはいえない待遇・・・これらのしわ寄せは全て、保育の質の低下という形で保護者にきている気がします。すべてがまだまだです。
 現在、私は認可と無認可、数カ所の保育園を経験して、田舎ののんびりとした保育園に我が子を預けています。
 そこは、子育てを経験した保育士さんや、若い保育士さんが一緒になり、
 「保護者のための」保育をしてくださっています。
 上から目線で、「預かってやっているんだから毎朝保育園の中でこれくらい(今までの認可では多いところだと園児ひとりにつき10項目くらい)はしてください」という、驚くような義務はどこにもありません。朝、健康状態を伝えたら「わかりました〜お預かりしますね。はーい、ではママ、いってらっしゃーい!」と、みなさん満面の笑顔です。心がともなった保育をされているので、どんな状況でも、病児を帰すときの対応も、心から心配して言ってくださっているのがわかります。
 私が数年前通っていた認可園では、保護者が保育料というけして安くはないお金を支払っているのに、毎朝の園児ひとりあたりの10項目は義務でした。タオル何枚、オムツ何枚、下着、着替え、・・・場所もいろんなところに入れなければならず、家から5分以内に到着する園でしたが、朝ちゃんと替えてきたのに保育園で必ずオムツも交換しなければなりません。何の意味があるのかわかりませんが、とにかくしんどくて、高い意識を持つべき自分の仕事の前に、現実はとてもむなしい毎日でした。我々歯科の分野で考えると、「あなたのお子さんの治療をしてあげるから基本のセットは自分で用意して所定の場所に機械をセッティングして、自分でエプロンまでちゃんとかけてくださいね〜」という世界なのです。民間ではとてもあり得ない常識が一部の(それも認可の)園ではおそらく今もまかり通っているのです。これが認可の常識なのかと思うと、今思い出しても悲しい限りです。
 私自身、保育園関係では過去、たくさん泣きました。でも、このような追いつめられるほどの苦しい経験をして、現在ようやく保育園らしい保育園に巡り会えた気がします。この保育園に巡り会うまでに、思い切って転居をしてまで出会った、民営のにしてつ保育園ピコランの先生方たちにも本当に感謝しています。ここから一気に曇り空の日々が青空へとかわり、心が穏やかになり晴れたような気がします。ピコラン保育園は職場からは近くありませんでしたが、嫌な思いをすることもなく、本当に感謝のたえない素晴らしい対応ばかりでした。今でも通勤中に車線変更の合図をしてきた西鉄バスには必ず道を譲ると決めています。それくらい、このバスに、グループ会社に感謝する理由があるからです。この癒された気持ちのためなら、通勤時間は苦であるはずがありません。10項目を幼子を抱えながら汗だくで朝礼に間に合わないと焦りながら片付けるための無駄な時間が、ただただ通勤時間に代わっただけの話でしたから。先生達のバックアップのおかげで、私も仕事に集中できましたし、こうやって仕事への意欲を失うことなく無料の託児を今も運営できています。
 多くの場合、保育士は・・
 朝、仕事に向かう前に一番最初に会う他人であり、仕事で疲れた帰り道、最後に会う他人です。
 このポイントが快適であり思いやりに満ちていれば、働く人の意欲はあがりますし、子供への態度も優しくなります。家族のために働く両親が、子供をもつこと、もったことを心から幸せに思えるか否かは、保育園を中心とした子育て支援の体制があるかないかにかかっているのです。このことを本当の意味でわかっている保育士が増えることを切に願います。
 あれだけ嫌な思いをした認可保育園でも、中にはいい先生もいました。
 ああいういい先生たちこそが復帰できる環境に、なればいいなと思います。

 ただ、どんな職場でも、上に立つ人間の指導力や予見があれば、個々の考えは変わらなくとも対応は変わります。ですので、スミレ歯科の託児への考え方は、指導する立場の私の考えがブレなければ、ずっと変わらず、向上もします。
 働いていようがいまいが、子供への愛情やプレッシャー、日々の疲れは皆同じです。
 どんな瞬間でも、お父さんお母さんへのサポートを、できる限りしたいと思いますし、
 スタッフ教育にも力を入れていこうと、気持ちを新たにする今日このごろであります。
 子供たちのために、子供を育むご両親のために、大切な孫を遠くから見守るおじいちゃんおばあちゃんのために・・・・すべてのご家族のために。



                                      副院長




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